昭和を代表するニヒルな悪役として活躍した成田三樹夫さんですが、私生活や娘さんについて気になっている方も多いのではないでしょうか。スクリーンで見せる恐ろしい表情とは裏腹に、家庭では娘を溺愛する優しい父親だったという噂もありますよね。
結論から言うと、成田三樹夫さんには一般人の娘さんが2人おり、テレビ番組で娘の作文に号泣したという心温まるエピソードも残されています。この記事では、娘さんたちとの絆や最愛の妻との馴れ初めについて詳しく解説します。
さらに、東大中退という驚きの経歴や、55歳で早世したスキルス胃がんの闘病生活についてもまとめました。最後まで読むことで、名優・成田三樹夫さんの知られざる人間味あふれる素顔に触れることができるはずです。
成田三樹夫の娘は2人!現在の年齢や職業は?
成田三樹夫さんには、妻・温子さんとの間に2人の娘さんがいることが判明しています。悪役としてスクリーンで強烈な存在感を放っていた成田さんですが、私生活では娘たちを深く愛する父親でした。
ここでは、一般人である娘さんたちのプロフィールや、現在何をしているのかといった年齢・職業に関する情報について詳しく解説します。
娘は一般人で名前や顔画像は非公開
成田三樹夫さんの2人の娘さんは、どちらも一般人であるため、名前や顔画像、具体的な職業などは一切公開されていません。芸能界へ進んだという記録もないため、親とは異なる一般の職業に就いていると考えられます。
成田さんは、スクリーンでは凄みのある演技を見せていましたが、ご自身のプライベートをあまり表に出さないタイプでした。そのため、ご家族のプライバシーをしっかりと守り、娘さんたちが普通の生活を送れるように配慮していたと推測されます。
現在もメディアなどに登場することはないため、静かで平穏な日々を過ごされている可能性が高いです。
娘の現在の年齢と結婚の噂
娘さんたちの現在の年齢については、1976年頃の生まれで、現在は40代後半から50代前半になっていると言われています。これは、一部の情報で「2018年時点で娘は42歳くらい」と囁かれていたことが根拠となっています。
成田三樹夫さんが55歳で亡くなられた1990年当時、娘さんたちはまだ中学生や高校生という多感な時期だったと考えられます。早くに父親を亡くされた悲しみは計り知れませんが、残されたご家族で支え合ってこられたのでしょう。
また、娘さんたちの結婚に関する公式な発表はありませんが、年齢的に考えてすでに結婚して家庭を築いている可能性も十分に考えられます。もしお孫さんが誕生していれば、成田さんも天国で目を細めて喜んでいるのではないでしょうか。
悪役俳優・成田三樹夫と娘の心温まるエピソード
成田三樹夫さんと娘さんたちの間には、「悪役専門の父」を持つ家庭ならではの心温まるエピソードがいくつも残されています。スクリーンでは冷酷な役柄が多かった成田さんですが、私生活では娘を溺愛する非常に優しい父親だったと言われています。
ここでは、テレビ番組での感動的な出来事や、自宅周辺で見せていたというリラックスした素顔について詳しく見ていきましょう。
娘からの切実なお願いとテレビでの号泣事件
成田三樹夫さんは、娘さんから「たまには殺されないいい人をやって」とお願いされたり、テレビ番組で娘の作文を聞いて号泣したという感動的な噂が残されています。悪役ならではの娘の葛藤と、それを包み込む親子の深い愛情がうかがえます。
昭和52年の週刊誌『アサヒ芸能』の悪役スター特集では、娘さんが成田さんに「たまには殺されないいい人をやって下さい」と頼んだというエピソードが紹介されたと言われています。悪役として映画やドラマで頻繁に命を落とす父親の姿を見るのは、幼い子供にとって辛いことだったのでしょう。
さらに、NHKの番組『減点パパ』に出演した際の出来事も語り継がれています。この番組で娘さんが、「私のパパは俳優で悪役専門。学校でからかわれるが、本当はとても優しいお父さんで大好き」という内容の作文を読み上げたそうです。
その娘からの真っ直ぐな手紙に、強面で知られる成田さんが思わず号泣してしまったとの噂があります。また、別のバラエティー番組に出演した際にも、カメラ越しに娘に向かって手を振る姿が目撃されたと言われており、娘を溺愛する子煩悩な父親であったことがよくわかります。
三鷹市の自宅で見せた良き父親としての素顔
生前の成田三樹夫さんは、東京都三鷹市の自宅周辺で、ガウン姿で郵便物を受け取るなど、非常にリラックスした姿が近隣住民に目撃されていたと言われています。映画のセットを離れれば、どこにでもいる穏やかなマイホームパパでした。
成田さんはご家族とともに三鷹市に居を構え、家族仲は非常に良好であったと伝えられています。スクリーンで見せる凄みのある眼光やニヒルな笑みからは想像もつきませんが、自宅では家族と穏やかな時間を過ごすことを何より大切にしていたようです。
また、成田さんといえば独特の整ったオールバックの髪型から「カツラではないか」という噂がネット上で定期的に話題になります。しかし、生え際が見える画像などから地毛である可能性が高いとされており、自宅でくつろぐ際もあのダンディな姿だったのかもしれません。
悪役としてのプロ意識を貫きながらも、一歩家に帰れば家族を愛し、ご近所にも素顔を見せる気さくな父親でした。娘さんたちにとって成田さんは、テレビの中の怖い悪役ではなく、世界で一番優しくてかっこいい自慢のお父さんだったと言えるでしょう。
成田三樹夫を支えた妻・温子さんとの馴れ初め
成田三樹夫さんの生涯を最も近くで支え続けたのは、一般女性である妻の温子(あつこ)さんです。10歳以上も年の離れたお二人ですが、共通の知人を介して出会い、深い愛情と信頼関係で結ばれていました。
ここでは、謎に包まれたお二人の出会いの時期や、成田さんの没後に出版された遺稿集から読み取れる夫婦の絆について詳しく解説します。
共通の知人を介した出会いと結婚時期の謎
成田三樹夫さんと妻の温子さんは、共通の知人を通じて知り合い、交際を経て結婚に至ったことが判明しています。ただし、お二人が出会った年齢や結婚した時期については、情報源によっていくつかの異なる説が存在します。
ひとつの説は、「成田さんが32歳、温子さんが19歳のときに出会い、その後結婚した」というものです。もう一方の説では、「成田さんが34歳、温子さんが21歳のときに結婚した」とされています。どちらの説をとっても、お二人の間には13歳という年齢差があったことは間違いありません。
昭和の時代、10歳以上も年上の、しかも「悪役俳優」として名を馳せつつあった成田さんとの結婚には、温子さんにとっても大きな決断が必要だったことでしょう。しかし、成田さんの誠実な人柄に惹かれ、生涯を共にすることを決意したのだと考えられます。
遺稿句集の出版に見る夫婦の深い絆
成田三樹夫さんと温子さんの深い絆を象徴しているのが、成田さんの没後の1991年に温子さんによって出版された遺稿句集『鯨の目-成田三樹夫遺稿句集』です。この一冊には、夫婦が共に歩んだ日々への深い愛情が込められています。
成田さんは50歳頃から趣味として俳句を詠み始めていました。強面な悪役のイメージとは裏腹に、言葉や文学を愛する非常に繊細な一面を持っていたことがわかります。温子さんは、夫が遺した数々の句を大切に保管し、成田さんが亡くなった翌年に一冊の本として世に送り出しました。
この句集の出版は、単なる作品集の発表にとどまらず、「俳優・成田三樹夫」ではなく「夫・成田三樹夫」の素顔を世間に知ってほしいという温子さんの願いの表れだったのかもしれません。夫の趣味を深く理解し、その生きた証を形にして残した温子さんの行動からは、お二人の揺るぎない夫婦愛が伝わってきます。
成田三樹夫は東大中退?エリート一家の驚きの経歴
成田三樹夫さんは、実は東京大学に現役合格した超エリートであり、ご親族も大学教授や刑務所長を務めるなど驚くべきインテリ家系の出身です。
ここでは、東大を中退してまで俳優の道へ進んだ理由や、華麗なる成田家の経歴について詳しく解説します。一般人である娘さんたちも、この知性あふれる血筋を受け継いでいるのかもしれません。
東京大学理科一類から俳優の道へ進んだ理由
成田三樹夫さんは、1953年に東京大学理科一類に現役合格して入学したものの、わずか1年で中退し、紆余曲折を経て俳優の道へと進みました。知性派俳優と呼ばれる所以は、この圧倒的な学歴にあります。
山形県立酒田東高等学校を卒業後、日本最高峰の東京大学に入学しましたが、ご自身の思い描く道とは違ったのか1年で中退してしまいます。その後、地元の山形大学人文学部英文学科に再入学しますが、こちらも2年半で中退するという異色の経歴を持っています。
最終的に成田さんは、1959年に俳優座養成所に第12期生として入所しました。同期には松山英太郎さん、山本圭さん、中村敦夫さんといった名だたる俳優たちが顔を揃えていました。
1963年に養成所を卒業した後は、大映本社に自ら出向いて大部屋俳優として契約し、1964年の『殺られる前に殺れ』で正式デビューを果たします。東大という超エリートコースを捨ててまで飛び込んだ演劇の世界で、唯一無二の悪役としての地位を確立していったのです。
父親は刑務所長で実兄は大学教授のインテリ家系
成田三樹夫さんのご実家は、父親が刑務所長を務め、実兄や叔父も大学教授やドイツ文学者として活躍する驚くべきインテリ家系です。成田さん自身の知的な雰囲気や趣味の俳句などは、この環境で培われたものだと言えます。
父親は司法省(現在の法務省)の職員であり、秋田、旭川、仙台といった各地の刑務所長を歴任した厳格な人物でした。成田さんは四男一女の5人兄弟の三男として生まれ、実家は母親が切り盛りする日用品の雑貨店だったそうです。
親族の経歴も非常に華麗で、叔父はゲーテ研究の第一人者として知られるドイツ文学者(翻訳者)です。また、実兄についても「東大卒で岡山大学や東北大学のドイツ文学教授を務めた」という説や、「長兄の成田英夫さんが新潟大学に勤務する大学教授であった」という説があり、いずれにしても学術界で活躍するエリートでした。
他のご兄弟にも、中小企業の社長や詩人がいるとされており、まさにエリートと文化人が集まる華麗なる一族です。愛する娘さんたちも、成田さんやご親族の聡明で知的なDNAをしっかりと受け継いでいることでしょう。
成田三樹夫の早すぎる死因と最期の様子
成田三樹夫さんは、1990年4月9日に55歳という若さでこの世を去りました。死因は、進行が非常に早いことで知られる「スキルス胃がん」でした。
ここでは、過酷な闘病生活の様子や、葬儀で盟友・菅原文太さんが読んだ涙の弔辞について詳しく解説します。愛する妻や娘たちを残して旅立つことは、ご本人にとってもさぞ無念だったことでしょう。
55歳で命を奪ったスキルス胃がんとの闘い
成田三樹夫さんの命を奪ったのは、発見が難しく進行が早い「スキルス胃がん」でした。55歳というあまりにも早すぎる旅立ちでした。
1989年にがんが発覚し、同年12月22日に胃の3分の2を切除する大手術を受けました。この時の主治医は、妻・温子さんのいとこにあたる東海大学医学部付属東京病院副院長の松崎松平医師が務めたことが判明しています。
信頼できる親族の医師のもとで懸命な治療を続けましたが、病魔の進行を止めることは叶いませんでした。そして1990年4月9日、東海大学医学部付属東京病院(東京都渋谷区)にて静かに息を引き取りました。
盟友・菅原文太が葬儀で読んだ涙の弔辞
成田三樹夫さんの葬儀では、映画『仁義なき戦い』などで数多く共演した盟友・菅原文太さんが弔辞を読みました。
同じ時代を駆け抜け、日本映画界の黄金期を共に支えた仲間からの別れの言葉は、多くの参列者の涙を誘ったと言われています。スクリーンでは敵対する役柄も多かったお二人ですが、カメラの裏側では俳優として深い絆で結ばれていました。
55歳での早世は、映画ファンだけでなく、残された妻や娘さんたちにとっても計り知れない悲しみをもたらしました。しかし、彼が遺した数々の名演技と家族への深い愛情は、今もなお色褪せることなく語り継がれています。
成田三樹夫の娘や家族についてのまとめ
- 成田三樹夫の愛称は「ミッキー」で山形県酒田市の出身
- 妻の温子さんとの間には一般人の娘が2人いる
- 娘たちの名前や顔画像、具体的な職業は一切非公開となっている
- 娘の現在の年齢は40代後半から50代前半との噂がある
- 娘から「たまには殺されないいい人をやって」と頼まれたことがある
- テレビ番組で娘の作文を聞いて号泣したという感動的な噂がある
- 三鷹市の自宅周辺ではガウン姿で過ごすなど良きマイホームパパだった
- 妻の温子さんとは共通の知人を介して出会った
- 妻とは13歳の年齢差があったと言われている
- 没後には妻によって遺稿句集『鯨の目』が出版され夫婦愛が話題になった
- 東京大学理科一類に現役合格したものの1年で中退している
- 父親は刑務所長で実兄や叔父は大学教授という華麗なるインテリ家系
- 趣味の将棋や剣道はともに三段の腕前を持っていた
- 1989年にスキルス胃がんが発覚し胃の切除手術を受けた
- 1990年4月9日に55歳の若さでこの世を去った
- 葬儀では盟友である俳優の菅原文太が弔辞を読んだ
悪役としての強烈なカリスマ性と、知性あふれる優しい父親としての素顔。そのギャップを知ることで、成田三樹夫さんの出演作品がより一層魅力的に感じられるはずです。ぜひこの機会に、彼が遺した昭和の名作映画やドラマを改めて見返してみてはいかがでしょうか。